たった1つの「正しい情報」

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「知的レベルが近い人との会話が一番楽しい」の意味

伝えることの難しさ

友人「何かと妻の家族を優先しちゃってさ。
   うちの家族が怒ってるみたいなんだよね。」

私 「あー、それは良くないね。
   相手の家族ばかり優先するのは止めた方がいいのでは?」

友人「そうだな。改めるようにするよ。」

~~~ 後日 ~~~

友人「なんかさ、これからはうちの家族を優先するって言ったら
   妻が怒っちゃってさ。」

私 「うちの家族を優先する…?(驚愕)」

 

まぁ彼には彼の考えがあって、
そういう結論に至ったのかもしれませんが、

まさか、そんな極端に取られるとは思わなかった…。
「どちらの家族にも平等に接したほうがいいよ」と
丁寧に伝えるべきだった…。

と、物凄く反省しました。

 

ですが、すぐに思い直しました。
「いや、さすがにそれは予想できなかったな。」と。

 

「知的レベルが近い人との会話が一番楽しい」

「知的レベルが近い人との会話が一番楽しい」という言葉を
どこかで聞いたことがあります。


具体的にどういう意味なのかはよく知らないのですが、

会話は相手に話すこと(OUTPUT)も楽しいし、
相手から新しい刺激(INPUT)を受けることも楽しいから、
その両方を半分ずつ楽しめるという意味で
知的レベルが近い人との会話が一番楽しい

という意味だろうと勝手に解釈して

面白い話を提供できない自分との会話は
誰にとっても「一番楽しい」に該当しないんだろうな…。

と勝手に凹んでいました。(笑)

 

でも、もしかするとそういう意味ではなく、
もっとシンプルに、

余計な前提や説明なしに、どれだけ本質的な話に集中できるか

という観点で楽しいのかもしれないなと思いました。

 

例えば今回の件で言うと、
私の「相手の家族ばかり優先するのは止めた方がよい」の意味は
「自分の家族を優先する」ではなく、
「どちらの家族も平等に接する」であると丁寧に話すべきでした。

ただ、人によっては、そこまでしなくても伝わるし、
むしろ話のテンポが悪くなることを嫌がるかもしれません。

 

 

確かに言われてみると、
仕事とかでも、部下に細かく丁寧に丁寧に話していくと
必然的に話の本筋からの脱線具合も大きくなり、
最終的には自分でも何を話そうとしていたのか
混乱してしまう、なんてことも多々あります。

 

「この情報は言わなくても知ってるから説明する必要はない。」
「ここまで言わなくても相手に誤解なく伝わる。」

そう思えるレベルが双方で一致していて、
余計なところに意識を向ける必要が無い。
確かにそんな会話は最も心地よく、楽しいかもしれないですね。

 

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