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敢えて言おう「結果が良ければ何でもいい」

3行まとめ

  • 『「結果を出すより、頑張っているように見せる方が重要」という価値観の元では、人はダメになってしまう。』とのこと。全面的に賛成である。
  • ただ、実際に結果重視で頑張る組織を作ることは難しい。「結果さえ良ければ何でもいいのか」という反論しづらい主張をする抵抗勢力が一定数存在するからである。
  • だが、敢えて言おう。「結果が良ければ何でもいい」と。それで問題があるとすると、それは「方針」が間違っているのではなく、「結果」の定義に誤りがあるだけだ。

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『「結果を出すより、頑張っているように見せる方が重要」という価値観の元では、人はダメになってしまう。』

先日こういう記事を読みました。 

blog.tinect.jp

分かり易い部分を抜粋すると

例えば、計画だけは立派なEさん。
あるいは、上司の目に入るように仕事をするだけで、全く結果を出せないMさん。
皆が集まる会議でもっともらしく意見を言うのだが、全く実行しないOさん。


彼らはいずれも、「結果を出すより、頑張っているように見せる方が重要」という世界の住人だ。


もちろん「結果が出ないこと」を単に責めるのは間違っている。
結果は運の要素も強いし、頑張っているけれども結果が出ないこともよくある。


しかし、それを悪用して「結果を出す」よりも「頑張りを見せる」方が重要、という価値観の元に永くいると、人は腐ってダメになってしまう。

全面的に賛成です。

結果を出すために頑張っている以上、その評価は結果で行うのが当然だからです。

 

敢えて言おう「結果が良ければ何でもいい」

後輩B:でも、結果だけで評価するというのも難しいですよね。結果が出ない人を切り捨てる訳にもいかないですし。

先輩A:いい指摘だね。不思議なことにこの話をすると、印象が良くなく、必ず一定数のメンバーから同様の反論を受けるよ。

後輩B:心情的には反論しづらいですよね。

先輩A:確かに。ただ、議論の順番を間違ってはいけないよ。「頑張っているけど結果が出ていない人」を評価するために「結果を出している人」を適切に評価しないのか?というと、それは本末転倒。あくまでも「結果を出している人」の評価が本筋であり、その上で「頑張っているけど結果が出ていない人」をどう評価するか、という順番。心情的な主張に惑わされると、本質を見失うから注意だね。

 

後輩B:なるほど。確かにそうですね。ところで一方で、結果が出れば何をしてもいいのか?という声も良く聞きますよね。

先輩A:うーむ。それって具体的にはどういうことを危惧しているのだろう?

後輩B:例えば、売上を伸ばすために、お客様に強引に売ったり、半ば詐欺みたいな文句で騙したり、あるいは、部下や同僚の成果を横取りしたりとかですかね?

先輩A:うん、思い浮かぶのはそんなところかな。でも今挙げてくれたことも「結果」なんじゃないかな。

後輩B:え? 

先輩A:別に「結果」=「売上」や「利益」だけでなく、「CS(顧客満足)」や「チーム内の売上/利益」も「結果」だよ。つまり、「結果」を適切に定義していれば「結果が出れば何をしてもいいのか?」という話にはならない。 

 

後輩B:なるほど。だから「結果が良ければ何でもいい」と言えるのですね。

先輩A:そうだな。

後輩B:でも先輩は出来る人だからそう思うんですよ。出来ない人からすると、厳しいルールだと思いますよ?

先輩A:そうかもしれないけど、「頑張っている姿勢」で評価すると、逆に皆が不幸になるぞ。

後輩B:え?? 

先輩A:「頑張っている姿勢」が評価基準になると、社員は頑張り続けないといけなくなる。仮に、いい結果を残したとしても頑張らないといけなくなる。そうすると、もはや頑張る意味がなくなるよ、だって、結果が出ようが出まいが「頑張っている姿勢」を保たないといけなくなるのだから。

後輩B:あ…。

先輩A:そんな状況下で頑張れる?

後輩B:頑張れない…ですね。

先輩A:そう。そうすると、ただ自分を疲弊させて「頑張っている姿勢」を出すブラック化が進み、かつ、結果を出すことに意欲を持てないという最悪な状況になってしまう。

後輩B:…確かに。 頑張っている姿勢」での評価は危険ですね…。

先輩A:だから、変に反論されて本質を見失うくらいなら、敢えて言わないといけないんだよ。「結果が良ければ何でもいい」とね。

 

 2018/08/6(月) 総アクセス数:347

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