炎上プロジェクトにおける部下との協働~3つの思考改革~(下)
3行まとめ
- 炎上プロジェクトにおいて、部下に成長の機会を与えつつ、生産性を最大化するにはどうすればよいか。
- ポイントは以下の3つだと思っている。
1.チームのキャパ(工数)の考え方を改める
2.やることではなく、やらないことを決める
3.「プロジェクトの成功」以外のこだわりは捨てる - 上記はプロジェクトマネージャとして当たり前の話。たとえ炎上中のプロジェクトであろうと、自身の役割を見失わずに「当たり前」を忘れないことが重要。
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部下との協働に必要な3つの思考改革
前回の記事では「炎上プロジェクトにおいて、部下に成長の機会を与えつつ、生産性を最大化するにはどうすればよいか」の悩みについて記載しました。
本日はその悩みに対する自分なりの考え/気付きを書いていきます。(どれも当たり前の話ですが、私が出来ていなかったことです。)
<前回の記事はこちら>
1.チームのキャパ(工数)の考え方を改める。
部下がいる以上、作業量は私個人ではなく、部下含めたチームで見積もります。
それは当然なのですが、問題はその見積もり方法です。
これまでは自分の作業量に、部下の作業量を足し込むことでチームの作業量を見積もっていました。
例えば「私:100+部下:70=チーム合計:170」という考え方です。
本来であれば、私の工数の一部は部下レビュー等があるため、上記は適切ではないのですが、今まで時間を気にせず働くことが多かったため、結果として「部下レビューの時間は自身の作業量にカウントしない」習慣が付いていました。
そのため、無意識に「自分の工数にレビュー時間は含まない」といった考え方になっていました。
しかし、上記考え方だと、炎上プロジェクトなど時間に余裕がなくなると、無意識にレビュー時間確保の優先度が下がってしまい、部下に仕事を任せづらくなってしまいます。
そのため、考え方を「部下:70+私(レビュー):30+私(その他):70=チーム合計:170」に改めました。
結局は「チーム合計:170」で変わらないのかもしれません。
ただ、主戦力の認識が大きく変わっており、「私:100」から「部下:70+私(レビュー):30」になっています。結果、部下レビューの優先度が上がり、私の動き方も部下に求める成果も大きく変わってきます。
正直、改めて書くような話ではなく、マネジメントとして当然の話です。
今まで長時間労働で何とかしてきたツケが出てしまったなと反省しています。
2.やることではなく、やらないことを決める。
これも1と同様、これまでの働き方に起因する反省点です。
これまでは長時間労働で大体のことをカバー出来てきたため、「何をすれば目的を達成できるか」という正攻法の積上げでタスクを考えていました。
まぁ、余裕があるときはそれでも問題ないのかもしれません。
しかし、炎上プロジェクトで同じ考え方を貫くと、1つ1つのタスクにかける時間が短くなり、結果として「部下に任せづらくなる」「部下にゆっくり考える時間を与えられなくなる」という事態に陥ります。
そのため、炎上プロジェクトのときこそ、「何が必要か」ではなく、「残り時間を考慮し、何をやらないか」を考える必要があるのです。
3.「プロジェクトの成功」以外のこだわりは捨てる。
ある程度、コンサルタントをやっていると自分なりの仕事の方法が確立されますし、ある種の「美学」のようなものも出てきます。
私もついつい「コンサルタントとして」や「マネージャとして」という思いに縛られてしまっていたように思います。
もちろん、通常時はそういった誇りやあるべき姿を追求することは重要です。
しかし、炎上プロジェクトにおいては「こだわりはプロジェクトが成功することのみ」くらいに割り切ることが重要になんだと思います。
そう考えるだけで、求める品質やレビューにかかる時間が大きく変わってくるため、部下に任せられる仕事が大きく広がっていきます。
まとめ
上記3つの内容は、実は根っこの部分は同じであり「マネージャの役割は何か?」なんだと思っています。
マネージャの役割は「チームが機能するために環境を整えること」と、頭では分かっているのですが、部下が少なかったり、プロジェクトが炎上中だったりすると、その大原則を忘れて、ついつい「自分で何とかする」のモードになってしまいます。
でも本当に大切なことは、炎上プロジェクトであっても基本を忘れず、「勇気を持って自分の役割に徹する」ことなんだと思います。
どの内容もプロジェクトマネージャとして当たり前ですが、多忙・プレッシャーという状況やこれまでの働き方に足元をすくわれてしまい、その当たり前さえも守れなかった自分に対する戒めのため、記載しました。
2018/09/05(水) 総アクセス数:698
炎上プロジェクトにおける部下との協働~3つの思考改革~(上)
3行まとめ
- 「仕事を任され、自分で何とかするしかない環境に置かれたとき」こそ成長すると考え、なるべく部下にはそのような環境を与えるよう心掛けている。
- 但し、上記方法を取れるのは比較的スケジュールに余裕がある場合で、炎上プロジェクトのように日々状況が変わり、スケジュールに余裕がない場合には向いていない。
- 一方で、部下やお客様のことを考えると、部下に成長の機会を与えつつ、生産性を最大化することは必須。どうすれば、そのバランスを取れるのか考えてみた。
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炎上プロジェクトにおける部下との協働
…というタイトルで、本日はブログを書きます。
最初は「炎上プロジェクトにおける部下マネジメント」とか、「炎上プロジェクトにおける部下育成」とか、もうちょっとかっこいいタイトルで書きたかったのですが、しっくりこないなぁと。
というのも、今回は単純な「育成」や「マネジメント」の話ではなく、
- プロジェクトマネージャとして、プロジェクトを成功させないといけない
- プロジェクトマネージャとして、後続を育成しないといけない
の狭間で悩んでいる話だからです。
基本としている部下との働き方と、炎上プロジェクト
私は現在コンサルタントをやっており、部下と共にお客様の職場に常駐しています。
今でこそマネージャのポジションで仕事をしていますが、私は成長に時間が掛かり、歴代の上司達には多大なる迷惑を掛けてきました。
そんな成長の遅い自分でも、いくつか大きな成長を遂げた時期があったのですが、振り返るとそれは大体が「上司から放置された瞬間」でした。
「放置」と書くと響きが悪いですが、要するに「仕事を任され、自分で何とかするしかない環境に置かれたとき」ということです。
まぁ良くも悪くも人間は追い詰められて、必要に迫られるほうが成長する生き物なのでしょう。(私だけかもしれませんが…。)
そんな自身の経験があるため、「上司から100のレビューを受けるよりも、1回の失敗の方が成長に繋がる」を信念に、部下育成は基本的には「まずは任せて、失敗を経験させる」ことを基本にしています。
しかし、そのような方法が上手くいくのは、「失敗を経験させる余裕」がある場合だけです。いわゆる、炎上プロジェクトだと部下に失敗を経験させる余裕もなく、いかにプロジェクトを正常な状態に戻すかに全てのパワーを注ぐことになります。
つまり、「プロジェクトの成功」と「部下の育成」の両立が難しく、どうしても「部下の育成」が後回しになってしまいます。
部下と協働するための3つの思考改革
そもそも、炎上プロジェクトとは?
ここで私が言っている炎上プロジェクトとは
- 状況が日々変わり
- マネジメント層への報告を数日単位で行う必要があり
- スケジュールが常に綱渡り状態
のプロジェクトを指しています。
記載の通り、日次単位で状況が変わるため、部下にゆっくり考える時間を与えることも、失敗を経験させる余裕もありません。
そのため、どうしても部下に「任す」ことが難しく、上手く作業を分担出来ませんでした。
しかし、それは「部下育成」の観点からも、「プロジェクトの生産性」の観点からも望ましくないことは明白です。
私自身のため、部下のため、そして、お客様のため、時間に余裕のない炎上プロジェクトにおいて、部下を育成しつつ、生産性を最大化する方法はないか考えてみました。
>(下)に続く
2018/09/04(火) 総アクセス数:684
死よりも重い罰を与えるべき。
3行まとめ
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『法とは願い。国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ。』としたとき、刑法や少年法が発しているメッセージや理想は何なのだろうか。少なくとも「更生の機会を与えるため、未成年の犯罪は軽くする」はおかしい。
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私は思う。人の命は皆平等で、皆尊い。だからこそ命を奪った罪は重く、犯人は「死」と同等、もしくはそれ以上の罰を受けなくてはいけない。もちろん、更生の機会は必要だ。でもそれは、自分の罪の重さを偽りない重さで受け止め、その罪を清算した上での話である。更生が目的となり、罪の重さが軽くなってはいけない。
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法律は何のため、誰のためにあるのか。
気分が悪いとしか言いようがありませんが、こんな記事を読みました。
簡単に纏めると、以下の通り。
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29年前に「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を犯した犯人が、再び殺人未遂を起こしました。この事件は戦後最悪の少年犯罪とも言われており、文字にもしたくないほど残酷な事件でしたが、犯人が未成年だったことから懲役4年以上6年以下の不定期刑となりました。
時を経て、現在。その犯人グループの一人が再び殺人未遂容疑で逮捕されました。しかも怨恨でもなんでもなく、因縁をつけて相手をいきなり警棒で殴ったうえ、首の後ろをナイフで刺し、殺害しようとしたようです。
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なんなんだ、こいつ。
凶悪犯罪を犯したにも関わらず、それが少年法により罪が軽減され、挙句の果てに反省もせずに次の凶悪犯罪を犯している。
凶悪殺人犯が改心して幸せな日常を手に入れていたとしても、それはそれで納得できませんが、これはもっと納得ができません。
被害者である女子高生自身も浮かばれませんし、被害者の御家族もやりきれない思いでしょう。
少年法はいったい何を守ろうとしているのか、法律は誰を守るためものなのか、考えずにはいられません。
『法とは願い!国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ!』
愛読書である「キングダム」の一節です。
仮にこの言葉が正しいとして、今の法律はどんな理想を描き、何を願っているのでしょうか。
「未成年の罪は軽くする」とは、我々に対してどんなメッセージを伝えようとしているのでしょうか。
社会として、未成年には更生の機会を与えるべきだ?
だとしたら言いたい。
被害者やその御家族の前でも言えるのかと。
ハンムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」という有名な言葉があります。
多くの人は「やられたらやり返せ」の意味で使用していますが、本当の意味は「目をやられたなら目までしかやり返してはいけない、歯をやられたなら歯までしかやり返してはいけない」という過剰な復讐を諌めるための言葉です。
こんな言葉が必要になるほど、被害者側の傷は深く、苦しみは大きいのです。
もし私が法律家だったら、現在の法律は見直します。
そして殺人罪に対して死よりも重くて辛い刑を与えます。
死刑という意味ではありません。
そして、犯人に対して復讐したい訳でもありません。
法律を通して、世の中に発信するべきメッセージは以下だと思うだけです。
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人の命は皆平等で、皆尊い。
だからこそ命を奪った罪は重く、犯人は「死」と同等、もしくはそれ以上の罰を受けなくてはいけない。
もちろん、更生の機会は必要だ。
でもそれは、自分の罪の重さを偽りない重さで受け止め、その罪を清算した上での話である。
更生が目的となり、罪の重さが軽くなってはいけない。
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誤解を恐れずに書きます。
伝えるべきメッセージ・理想は「未成年の罪は軽くする」ではありません。
「未成年であろうと、犯した罪の重さは変わらない」なんだと思います。
2018/08/29(水) 総アクセス数:611
有意義な時間を過ごすために必要なもの、それは「集中力」と「想像力」、そして「楽しむ力」
3行まとめ
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有意義な時間を過ごすために必要なことは3つ、「集中力」と「想像力」、そして「楽しむ力」だと思っている。
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集中力とは「同じ時間の中でどれだけ濃い時間を過ごせるか」の能力である。「知識を吸収する」でも「経験を積む」でも「楽しむ」でもよいので、誰よりも濃い時間を過ごしてやると自分に課すことが重要である。
また、想像力とは「未来をいかにシミュレーションできるか」の能力である。「試験を解いている自分を想像できるか」「上司や顧客にプレゼンしている自分を想像できるか」など、アウトプットのシチュエーションをいかに具体的に想像できるかが、インプットの時間の質を高める。 -
そして最も重要なのは「楽しむ力」である。「集中力」も「想像力」も重要ではあるが、つまらなければ継続できないし、ただ自分が辛くなるだけである。そんな時間は決して「有意義」ではない。「誰よりも濃い時間を過ごすこと」「未来を想像しながら過ごすこと」をいかに楽しいことにするかが、有意義な時間を過ごすための最大のポイントだと思っている。
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一旦、心をリセット。
本日は社労士の試験日でした。
今年は社労士の試験合格を一つの目標としており、本来は重要な日だったのですが、結果から言うと、今年の受験は見送りました。
仕事が忙しく本日も出勤だったため、受験を見送ったのは仕方がないと言えば仕方がないのですが、まぁ…言い訳ですよね。
合格の見込みが凄く薄かったから仕事を優先させた訳で、もし合格出来る実力があれば全力で仕事の日程を調整していたと思います。
そのため、今回の試験は完全敗北かなと思っています。
心機一転、明日から頑張ります!
…ということで、本日は振り返りと明日からの過ごし方に対する決意表明です。
問題は勉強できなかったことではない。時間の使い方だ。
まずは振り返りからですが、実際、最近の仕事は大変忙しく、社労士に合格できるだけの勉強時間の確保は困難でした。
ただ、それでも「受験してみないと分からない!」という程度のレベルには持って行けたと思います。
では、なぜ今回はここまで完全敗北となってしまったのか。
一言で言うと、それは「時間を有意義に使えていなかった」からです。
①集中力
ここ最近は仕事の疲れ(身体的・精神的)もあり、集中力が激しく低下していました。
言うまでもなく、集中力が落ちていると有意義な時間にはなりません。
さて、では「集中力を上げよう!」と思えば、上がるものなのでしょうか?
もっと言うと、「集中力」とは何なのでしょうか?
私は「集中力」とは「没頭する力」だと思っています。
もう少し具体的な言葉に直すと、「同じ時間の中で、その他のことを排除してどれだけ濃い時間を過ごせるか」の能力です。
つまり、「集中力を高める」とは「余計なことを考えず、誰よりも濃い時間を少しでも長く確保する」ということです。
当たり前かもしれませんが、「知識を吸収する」でも「経験を積む」でも「楽しむ」でもよいので、「誰よりも濃い時間を過ごしてやる」と自分に課すだけで、集中力は大きく変わってきます。
②想像力
先ほどの「集中力」は「濃い時間をどれだけ確保できるか」という「量」寄りの話でしたが、こちらはその濃い時間を「いかに効率的に活かすか」という「質」の話です。
今回の敗北の原因の一つは、年の中小企業診断士合格の慢心から、勉強の開始が遅全体像の把握が遅くなってしまったことです。
全体像さえ把握できていれば、「想像力」でもう少し何とかなっていたと思っています。残りの勉強スケジュールを頭の中でシミュレーションしたり、頭の中で試験問題を解いて苦手な分野を炙り出したり、対応の取りようがありました。
私は「想像力」とは「未来をいかに具体的にシミュレーションできるか」の能力だと思っています。
もう少し具体的に言うと、「試験を解いている自分を想像できるか」や「上司や顧客にプレゼンしている自分を想像できるか」など、アウトプットのシチュエーションをいかに具体的に想像できるか、です。
上でも書いていますが、アウトプットのシチュエーションを具体的に想像できるようになると、残りのスケジュールをどのように過ごせば間に合うのか想像したり、頭の中で試験問題を解いてどこが自分の苦手な箇所なのかを想像したり、今学んでいることが試験ではどのように出題されるのかを想像したりできるようになるため、インプットや時間の使い方の質がかなり高まります。
また、想像力があれば「勉強せずに1日を過ごした自分」を想像できるため、「集中力を高めるきっかけ」にもなったりします(笑)
最も重要なことは… 楽しむこと!
ここまでのことを纏めると「有意義な時間を過ごすには、未来を見据えつつ、今を全力で生きろ!」という、かなり普通のことを書いています(笑)
そんなことが常に出来るのであれば苦労はしない訳で、いかにこの難しいことを継続するかが最大の肝になります。
私は、もともとそんなに真面目な性格でも、自制心のある性格でもないため、「ただ頑張る」は出来ません。
そんな私が継続して頑張るには「頑張ることを辛いことではなく楽しいことにする」しかありません。
③楽しむ力
私が行っている取り組みなので、どこまで皆さんに当てはまるか分かりませんが、私はこんなことをやっています。
【①集中力】
ポイントは時間を決めて、効果を図り、ゲームのようにすることです。
例えば、同じ通勤時間でどれだけ覚えられるか「昨日の自分」と勝負するであったり、同じ1時間の中でいかに没頭して進められるかをスコア化して記録するなどです。
【②想像力】
例えば中小企業診断士は7科目、社労士も7-8科目ありますが、私は1科目ずつ脳内で漫画のキャラクターを担当にしていました。
例えるなら、得意な科目はルフィ、苦手な科目はウソップ、みたいな感じです。
暇さえあれば、脳内でキャラクター達に話し合いをしてもらい、時にはゾロとサンジがお互いの弱点を指摘し合ったり、ウソップが大見栄を切ったり、ナミさんが皆に分かり易く説明したりして、苦手なポイントを炙り出したり、勉強のやる気を奮起させたり、自分の理解を確認したりしていました。
アホかと思った人も多いと思いますが、想像にとっての一番の障害は「自分の主観/思い込み」なので、自分ではない誰かになりきるという手法は、結構に有効だと思われます。(科学的な根拠はないです。)
いずれにしても、自分に合った楽しみ方を見つけて、辛いことをいかに楽しいことに変えてあげるかが、有意義な時間を過ごす上での最も重要なポイントなんです。
ということで。
まとめになりますが、改めて明日からは「集中力」「想像力」「楽しむ力」を意識して、有意義な日常を過ごしたいと思います。
2018/08/27(月) 総アクセス数:561
【お金の使い方】ゼロからお寺を始めた人に1,000万円!
3行まとめ
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埼玉で親族に仏教関係者がいないにも関わらず、20代で新しくお寺を始めた人がいるとのこと。
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その方によると、日蓮宗では「布教助成」という手当や家賃補助により、3~4年の間は35万円/月、総額1,200万円~1,700万円近くの補助金を貰えるらしい。
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20代で新らしくお寺を始める行動力も凄いが、1,000万円を超える補助金を出すお寺側も凄い。目的は、「応援」なのか、「宗費」なのか、「宣伝広告」なのかは分からないが、お金の使い方を考えさせられるニュースである。
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ゼロからお寺を始めた人に1,000万円!
先日、こんな記事を読みました。
ざっくり言うと、
- 親族に仏教関係者もいない20代の方が、埼玉で新しく日蓮宗のお寺を始めた。
- 日蓮宗では、3~4年の間は「布教助成」という手当が20万円/月、家賃補助が最大で15万円/月(つまり、総額1,260万円~1,680万円程度)出る。
- 貯金は土地で使い果たしたため、お寺の建立費用は銀行20行を回って何とかローンで賄った。
- 人口減少や檀家さんの高齢化で厳しい環境ではあるが、一方でお寺の形も多様化してきている。
とのこと。
20代の方が、ローンを背負いながら新しくお寺を始めるという、ユニークな発想、度胸、行動力に驚き…。
また、「布教助成」という手当の存在は全く知らず、本当に「知っている」だけで世界は大きく広がるんだなと痛感しました。
その一方で、そんなに多額の補助金を出している日蓮宗も凄いなと。
それなりに審査はするのだろうけども、1,000万円以上の金額の投資です。
全国のお寺から宗派を運営するために集めている「宗費」で回収可能とみているのか、お寺が増えることによる日蓮宗の「広告宣伝費」と割り切っているのか、単なる独立支援なのか、あるいは、それらの複合なのか、理由は分からないけれど、面白いお金の使い方をするなぁと。
本文中に
新たにお寺を立ち上げた方たちが口をそろえて言うのが、「お金は後からついてくる」ということです。
という文言があるのですが、そういう発想なのかもしれないですね。
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そう言えば、昔とある知り合いの社長から「起業するなら1,000万円くらい出資してやるよ。」と言われたことがあります。
「えぇぇぇ!」と驚きだったのですが、その社長曰く「だって1,000万円なんて、お前を雇ったら1年で飛んでいくお金だよ。その金額で恩を売れて、(強い立場の)関係性が作れるなら安いもんだよ。」と。
なるほど、確かにそうだな。と変に納得。
自分の器の小ささと、お金の使い方を考えさせれるニュースでした。
2018/08/21(火) 総アクセス数:501
3つのことを知らなかった。結果、起業は失敗した。
3行まとめ
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過去に起業の経験があるが、お世辞にも成功とは呼べないお粗末な結果になってしまった。
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今振り返ると、その主要な原因は3つあったように思える。①お金の稼ぎ方を知らなかったこと、②お金の使い方を知らなかったこと、③世の中を知らなかったことである。
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どれも当たり前のことで、この3つを知らずに起業することは「無謀」である。私もそう思っていた。…失敗するまでは。
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起業…そして、1年で撤退。
私は過去にちょっとした起業をしたことがある。
社会人4-5年目、少し仕事にも慣れてきて、それなりに成果が出始めた時期である。
起業の内容については別途どこかで書くことにしたいが、その結果は散々であった。
残念ながら最初の1年間では200~300万円程度しか稼げず、結局1年で起業を断念した。
「最初の1年で200~300万円」をどう捉えるかは分からない。
もしかすると、そこまで悪くない結果と思う人もいるかもしれない。
ただ、その金額の殆どは「やりたかったこと」ではなく、「稼ぐためにした副業」であり、起業そのものでの収入は実質ゼロに近かった。
本当に語るも恥ずかしい散々な結果であり、誇れることは「1年で撤退した勇気」と「自分がいかに良い人達に囲まれているかを再認識できたこと」だけであった。
3つのことを知らなかった。
振り返っても反省するべきことは多く、枚挙にいとまがないが、上手くいかなかった原因は大きく3つある。
(1) お金の稼ぎ方を知らなかった
社会人を4-5年やっていたが、営業職ではなく、実際に契約や商談の場を経験したことが無かった。
そのため、人は何に対してお金を払うのか、何を判断基準にお金を払うのかを理解できていなかった。
いや、営業職でなくても上記を理解している人はいるので、言い訳かもしれない。
ただただ、単純に「お金や物の価値」に対する感度が低かったのだ。
よくビジネス書で描かれる日本人のように「良いものは売れる」を信じて、肝心な「どうやってお金を払ってもらうか」「お金を払うことに対して、顧客が自分自身をどうやって納得させるか」に時間を割いてこなかったのだ。
(2)お金の使い方を知らなかった
大金を持った経験もなく、お金の使い方を知っていたわけでもない。
その結果、「何にお金をかけて、何にお金をかけないか」の判断が適切に出来ていなかった。
正確に言うと、資金の配分は考えていた。
でもそれは、「自分が持っている手持ち資金」の配分であり、「掛けるべき資金」から逆算できていなかった。
つまり、資金を外から集めるという発想・勇気が全くなかったのだ。
私が参入した分野は、まだ他に誰も手を付けていない領域であり、先行者利益が大きい領域であった。しかし、やろうと思えば比較的誰でも参入出来てしまう分野なのでスピードが命であった。
そのため、いかに初期で資金を注入できるかが重要であったが、そこまで分かっていたにも関わらず、資金を注入できなかった。
(3)世の中を知らなかった
実は、上手くいかないことは始める前から分かっていた。
何故なら事業計画を立てた段階で採算が取れていなかったからだ。
しかし、不都合なことからは目をそらしていた。
「会社を辞めて、その事業にだけ注力出来れば何とかなるはず。世の中、1人でやっている人もいくらでもいるんだし、自分一人の食い扶持くらい何とかなるはず。」
本気でそう思っていた自分をグーパンチで殴りたい。
別に自分の能力を過信していたわけではない。
ただ、「会社」という恵まれた環境にいて世の中のことを分かっていなかったのだ。
「会社」と「社会」は似て非なるものであった。
自分が無知であることを知った。
以上の3つはあまりにも当たり前の話である。
これを知らずに起業をするということは本当に「無謀」だと思う。
自分もそう思っていた。…失敗するまでは。
そう思っていながら、実は分かっていなかった。
自分が無知で、世間知らずということを思い知らされた。
しかし、20代でそのことを知れたことは幸運なことだと思っている。
この経験をもとに次の起業は成功させたいと思う。
2018/08/16(木) 総アクセス数:430
師を誤るほど不幸なことはない
3行まとめ
- 『師を誤るほど不幸なことはない』とは、オウム真理教事件を担当した裁判長の御言葉。仰る通りである。
- 我々日本人は世界的にみると宗教への関わりが薄く、かつ、核家族化が進んでおり日常生活の中で関わる「大人」の数が限定的になりつつある。だからこそ、昔以上に「誰をお手本にするか」の重要性が高まっているように感じる。
- 「朱に交われば赤くなる」ではないが、意図的にせよ無意識にせよ、人は周りの環境に依存される。そのため、我々はもっと積極的に「師を定める」べきなのかもしれない。
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『師を誤るほど不幸なことはない。』
上記言葉はオウム事件の林泰男被告の裁判で、木村烈裁判長の判決文の一部です。
林泰男という人は、「師を誤った」ばかりに、もっと世の中の役に立つことに使われていたかもしれない能力で、多くの人々を苦しめてしまったともいえるのです。
上記言葉の通り、仰ぐ師が違っていればもっと異なる未来があったのでしょう。
しかしそれは、林被告に限らず、我々にも言えることだと思います。
海外だと日曜日は協会に行って聖書を読むなど、「宗教」という形で「自分はどうあるべきか」を知り、考える機会があります。
ところが、日本では海外ほど宗教の関わりは強くなく、「自分はどうあるべきか」を学ぶ機会は専ら家庭や学校・職場が中心となります。
しかし、核家族化が進み、地域との関わりも薄くなっている現代では、祖父母や親族、地域住民との繋がりも限られており、自らのお手本となるべき人物は父母や先生、上司などが中心になっています。
つまり、「お手本となる大人」の候補が減っており、だからこそ「誰を自分のお手本とするか?師とするか?」が昔以上に重要になっているのです。
「自分が目指す姿」をモデルケースとして持っているか?
この記事を読んで、個人的に振り返ってみたのですが、実は私自身も『師』としている人物はいません。
(子供がいるわけではないですが)「自分の子供に胸を張って語れることだけをする」という行動指針は持っていますが、その程度であり『師』に該当する人はいません。
無理に『師』を設定する必要はありませんが、「朱に交われば赤くなる」の言葉の通り、人間は無意識のうちに周りの環境に影響を受けてしまう生き物なので、「なりたい自分」を描かないでいるよりも、「具体的にこんな人になりたい」という理想像を持っている方が、より良い自分になれると思われます。
―――
ところで、社会人になると自分で選んだわけでもないのに『師』に近い存在が出てきます。「上司」です。
私自身はかなり上司に恵まれており、尊敬できる人々ばかりだったのですが、全員がそんな良い上司と巡り合える訳ではありません。
先日、大学の後輩から部署異動したとの話を聞きました。
聞くと、上司の方針が自分と合わず、「この人には付いていけない」と判断し、自ら望んで部署異動したとのこと。
もちろん、どちらに問題があったかなんて分かりません。
彼自身、そんな行動を起こすことで社内の評判がどうなるか、かなり悩んだそうです。
それでも、仰げない『師』の元で時間を費やす事の方が彼にとっては辛かったのでしょう。今の上司を切り離して、意志を持って自分の環境を変えた彼の決断は純粋に凄いなと思います。
『師を誤るほど不幸なことはない』
言い換えると『我々はもっと自分の師を選ぶことにこだわった方がよい』ということなのかもしれません。
2018/08/10(金) 総アクセス数:365
敢えて言おう「結果が良ければ何でもいい」
3行まとめ
- 『「結果を出すより、頑張っているように見せる方が重要」という価値観の元では、人はダメになってしまう。』とのこと。全面的に賛成である。
- ただ、実際に結果重視で頑張る組織を作ることは難しい。「結果さえ良ければ何でもいいのか」という反論しづらい主張をする抵抗勢力が一定数存在するからである。
- だが、敢えて言おう。「結果が良ければ何でもいい」と。それで問題があるとすると、それは「方針」が間違っているのではなく、「結果」の定義に誤りがあるだけだ。
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『「結果を出すより、頑張っているように見せる方が重要」という価値観の元では、人はダメになってしまう。』
先日こういう記事を読みました。
分かり易い部分を抜粋すると
例えば、計画だけは立派なEさん。
あるいは、上司の目に入るように仕事をするだけで、全く結果を出せないMさん。
皆が集まる会議でもっともらしく意見を言うのだが、全く実行しないOさん。
彼らはいずれも、「結果を出すより、頑張っているように見せる方が重要」という世界の住人だ。
もちろん「結果が出ないこと」を単に責めるのは間違っている。
結果は運の要素も強いし、頑張っているけれども結果が出ないこともよくある。
しかし、それを悪用して「結果を出す」よりも「頑張りを見せる」方が重要、という価値観の元に永くいると、人は腐ってダメになってしまう。
全面的に賛成です。
結果を出すために頑張っている以上、その評価は結果で行うのが当然だからです。
敢えて言おう「結果が良ければ何でもいい」
後輩B:でも、結果だけで評価するというのも難しいですよね。結果が出ない人を切り捨てる訳にもいかないですし。
先輩A:いい指摘だね。不思議なことにこの話をすると、印象が良くなく、必ず一定数のメンバーから同様の反論を受けるよ。
後輩B:心情的には反論しづらいですよね。
先輩A:確かに。ただ、議論の順番を間違ってはいけないよ。「頑張っているけど結果が出ていない人」を評価するために「結果を出している人」を適切に評価しないのか?というと、それは本末転倒。あくまでも「結果を出している人」の評価が本筋であり、その上で「頑張っているけど結果が出ていない人」をどう評価するか、という順番。心情的な主張に惑わされると、本質を見失うから注意だね。
後輩B:なるほど。確かにそうですね。ところで一方で、結果が出れば何をしてもいいのか?という声も良く聞きますよね。
先輩A:うーむ。それって具体的にはどういうことを危惧しているのだろう?
後輩B:例えば、売上を伸ばすために、お客様に強引に売ったり、半ば詐欺みたいな文句で騙したり、あるいは、部下や同僚の成果を横取りしたりとかですかね?
先輩A:うん、思い浮かぶのはそんなところかな。でも今挙げてくれたことも「結果」なんじゃないかな。
後輩B:え?
先輩A:別に「結果」=「売上」や「利益」だけでなく、「CS(顧客満足)」や「チーム内の売上/利益」も「結果」だよ。つまり、「結果」を適切に定義していれば「結果が出れば何をしてもいいのか?」という話にはならない。
後輩B:なるほど。だから「結果が良ければ何でもいい」と言えるのですね。
先輩A:そうだな。
後輩B:でも先輩は出来る人だからそう思うんですよ。出来ない人からすると、厳しいルールだと思いますよ?
先輩A:そうかもしれないけど、「頑張っている姿勢」で評価すると、逆に皆が不幸になるぞ。
後輩B:え??
先輩A:「頑張っている姿勢」が評価基準になると、社員は頑張り続けないといけなくなる。仮に、いい結果を残したとしても頑張らないといけなくなる。そうすると、もはや頑張る意味がなくなるよ、だって、結果が出ようが出まいが「頑張っている姿勢」を保たないといけなくなるのだから。
後輩B:あ…。
先輩A:そんな状況下で頑張れる?
後輩B:頑張れない…ですね。
先輩A:そう。そうすると、ただ自分を疲弊させて「頑張っている姿勢」を出すブラック化が進み、かつ、結果を出すことに意欲を持てないという最悪な状況になってしまう。
後輩B:…確かに。 「頑張っている姿勢」での評価は危険ですね…。
先輩A:だから、変に反論されて本質を見失うくらいなら、敢えて言わないといけないんだよ。「結果が良ければ何でもいい」とね。
2018/08/6(月) 総アクセス数:347