当たり前だけど、生産性が落ちたときは寝るのが一番!
まとめ
- 生産性が落ちるのは集中力や根性の問題ではなく、「疲れ」による場合も多い。
- 疲れる→生産性が下がる→眠れない→疲れる…の負のスパイラルを脱却する方法は「生産性を上げて睡眠時間を増やす」ではなく、「睡眠時間を増やして生産性を上げる」である。
- 自覚のない「疲れ」もあるため、自分の疲れ具合を認識する方法を見つけておくことも重要である。
2週間も持たずに、ブログの継続更新がストップ!
負のスパイラル
見事な負のスパイラルですね。まぁ、わざわざ図にするまでもありませんが(笑)。
自分の体調不調に気付く方法
ちなみに、この負のスパイラルの厄介なところは、気付かないうちに疲労が蓄積され、徐々に、少しずつスパイラルに巻き込まれていく点です。ところで…
KOH さんは、経済や株式投資の情報と知識をわかり易くかつ正しい情報を提供していただける方です。
たった一つの正しい情報を欲しい方は記事を見てください!
本日は以上です。
2019/1/9(水) 総アクセス数:5562
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『人脈があれば専門性はいらない』は本当なのか?
3行まとめ
- 「異業種交流会に参加」など、直接的な人脈を広げる行動も重要だが、専門性を高めることも同程度に重要である。何より長期的には「専門性」は「人脈づくり」にも有効。
- 「専門性」無く人脈を広げると、一方的に自分が相手に頼る関係となってしまい、頼りにくく、かつ、その関係性の維持も大変になる。
- 必ずしも「専門性」である必要はないが、長期的な人脈を築くには相手が持ってない「何か」を持ち、お互いに頼り合う関係が望ましい。
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専門性を高めることは人脈づくりにも有効
先輩:なぁ、最近忙しそうにしているけど、ちゃんと勉強しているか?
私:う~ん、いきなり耳が痛いですね…。正直、微妙ですね。色々忙しくて…あまり勉強できていないですね。
先輩:おー、何がそんなに忙しいんだ?プロジェクトそのものはそこまで忙しくないだろ?
私:はい、プロジェクトは割と落ち着いているのですが、異業種交流会のようなイベントに顔を出すようにしていまして…。
先輩:へー、それはそれでいいことだよ。異業種交流会は自分の視野が広くなるし、結果、知見が高くなることもあるからな。でも…、勉強、特に専門性を高めるための取り組みは続けた方がいいぞ。
私:はい、分かってはいるつもりなのですが…。先輩の仕事っぷりをみていると人脈の重要性を凄く感じるんですよね。私は先輩ほどの人脈が無いから…正直焦っています。あと…正直に言うと、人脈があれば、専門性はなくてもいいかなと思っているところもあります。
先輩:人脈の重要性については同意。でも、同じくらい専門性も重要だぞ。専門性を高めることは人脈づくりにも有効だしな。
私:え?
人脈重視:Aさんの話
先輩:ある後輩Aさんの話だ。彼女はあまり自己評価が高くなく、自分は秀でた能力が無い凡才だと思っていたようだ。その影響か、不足分は人脈でカバーしようと考えていたようで、人脈を重要視して若い頃から勉強会や交流会に盛んに顔を出していたよ。君と同じだね。
私:そうですね。
先輩:彼女は非常にマメでね。出会った人には必ず当日のうちにメールを送るし、出会った人を忘れないように専用のメモを作っている。そして、知り合った人には用事が無くても定期的に連絡を取るなど徹底していたよ。
私:それは凄いですね…。私もそこまでは出来ていないです…。
先輩:そうだね。彼女は自分に秀でた能力が無いと言っていたけど、そのマメさだけでも十分なスキルであり、強みだと思うよ。
私:それで彼女はどうなったんですか?
先輩:半年くらい経った頃からかな、彼女の「人脈ネットワーク」は広くなり、徐々に仕事に役立つようになってきた。自分の苦手分野は、専門分野の知り合いに聞くなどして飛躍的にパフォーマンスは上がったよ。
私:やっぱり!人脈は重要ですよね。
先輩:でもね、2年経つ頃には彼女の「人脈ネットワーク」は殆ど元に戻っていたんだよ。
私:え!?なぜですか?
先輩:本人曰く、疲れちゃったそうだ。「人脈ネットワーク」が広がるにつれて、関係維持にかかる労力も増えてくるし、彼女が定期的にコンタクトを取っても無視されることも多いし、何より相手に頼ってばかりだと段々いい顔されなくなるしね。体力的にも精神的にも続かなかったようだよ。
私:なるほど…。
専門性重視:Bくんの話
先輩:一方で、あまり社交的でない後輩Bくんの話だ。彼はAさんと比較すると、随分と大人しくてね。お世辞にもコミュニケーション能力は達者でなかった。
私:ふむふむ。
先輩:彼も自分にコミュニケーション能力が無いことの自覚はあり、その分、得意分野のスキルを磨き、専門性を高める方に力を入れた。
私:Aさんとは正反対ですね。
先輩:その通り。最初は社内でもあまり目立っていなかったよ。Aさんのほうが成果が出るタイミングが早かったし、何より人脈で突破していく様は「華」があった。でもね、3年もするとBくんの社内の評価は随分と変わってきた。
私:…。
先輩:彼の得意分野に対する知見は徐々に高くなり、その知見の高さと比例して社内でも評判が高くなった。評判が高くなると、彼を頼って訪ねる人の数も増え、更に自分の中に知見が蓄積されていく。順調に良いサイクルが回り始め、5年もすると彼の専門性・知見の高さは社外に響くまでになっていたよ。
私:なんと…。
先輩:ここから先は言う必要がないかもしれないね。そうして彼は計らずとも「人脈ネットワーク」を手に入れた。同じ「人脈ネットワーク」だけど、自分で関係維持しなくても相手が関係維持を望んでくれるという点、そして自分が頼られるから相手にも頼り易かったという点がAさんとの違いだった。
「専門性の高さ」は「人脈を広げる」手段の1つ
私:そういうことなんですね…。「人脈ネットワーク」は片方がもう片方を一方的に頼る関係では成立しない、お互いに頼り合うからこそ成立する。そして自分が頼られるためには人が持っていない「専門性」が重要。だから人脈に専門性は必要不可欠なんですね!!
先輩:んー、半分正解で半分間違い。
私:えー??
先輩:最初に言ったろ。専門性を高めることは人脈つくりにも「有効」ってね。
私:???
先輩:君もまだまだだな。手段と目的がごっちゃになっているよ。人脈を構築して広げていく上で、「専門性の高さ」は有利だよ。でも、目的が「人脈を構築して広げること」だとすると、「専門性の高さ」は手段の1つに過ぎない。今回のAさんは上手くいかなかったけれど、根っからの「人間好き」な人はAさんの方法でも上手くいったかもしれない。そうでなくても、もう少し長く続けていたら「人脈の広さ」が武器になって、その「ネットワーク」を頼って色んな人が関係維持をしたがるようになるかもしれない。
私:そうか…。
先輩:言いたかったことは、人脈を作るために勉強の時間を犠牲にする、は短絡過ぎないかい?ということまでさ。
本日は以上です。
2018/11/19(月) 総アクセス数:2868
「何でもいいから経営者になりたい!」を批判する意味が分からない。
3行まとめ
- どう考えたって「起業」や「会社経営」は楽しい!しかし、「情熱」や「信念・ビジョン」を必要不可欠条件とする風潮があり、不必要にハードルを高くしているように感じる。
- その結果なのかは不明だが、事実として日本の開業率は低く、起業に対する関心は他国と比較して圧倒的に低くなっている。
- そんな中、「個人が会社を買う」がニュースになっている。「起業」や「会社経営」のモチベーションに対する多様性を許容することは、もしかすると日本の経済を再活性化させる鍵になるのかもしれない。
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「会社経営って面白そう!」は立派な起業理由
個人的な話で恐縮ですが、私の夢は起業して会社経営をすることです。「起業」ももちろん興味はあるのですが、今現在だと「会社経営」の方が比重としては大きいです。
自分の中では「どうせ働くのであれば会社経営の立場の方が面白い」という割と単純で真っ当な思考のつもりなのですが、世の中的にはどうも認められにくいようですね。
「起業」や「会社経営」について勉強すると、最初に来るのは「情熱(パッション)」であり、「経営者になる」を目的にすると失敗する、という論調があまりにも多いのです。
うーん、本当にそうなんですかね?意味が分からないというのが正直な感想です。だって、どう考えたってただ働くよりも、経営者の方が楽しそうじゃないですか。「楽しそう」というのは立派な理由・モチベーションだと思うんですけどね…。
自分なりの解釈としては、「会社を経営するにあたって、様々な判断が求められる。その際に『情熱』や『ビジョン』がないと判断がブレてしまう」であったり、「起業や会社経営は辛いことも多々ある。そんな辛い時期を乗り越えるためには、『情熱』や『ビジョン』が必要なのだ」であったり、きっとそういう理由なんだろうなと思っています。
曲がりなりにも、私も起業の経験があるため、上記要素は否定しません。ただ、「その方が成功の確率が高い」という話が、いつのまにか「そうでないとダメだ」になっている気がするんですよね。結果として、間違った風潮が「情熱は無いけど優秀な経営者・起業家」の芽を摘んでいる気がします。
中小企業白書で見る「日本の現状」
ちなみに、日本の「起業」と「中小企業の後継者問題」の実情は御存じでしょうか?中小企業白書etcに分析結果があるため、紹介します。
日本の開業率は、国際的にも低いです。アメリカと比較すると約半分、イギリスと比較すると1/3程度とかなり大きな差があります。
更に大きな差になっているのは、「起業に無関心な人の割合」です。他の国は2/3の人が興味を持っているにも関わらず、日本が3/4以上の人が「無関心」です。
開業率は「行動力」なども必要になるため、差があると言いつつ、5%~15%の範囲で収まるのは納得できます。しかし、「関心」という、ある意味手軽な内容において、ここまでの差があるのは驚きで、いかに日本人にとって「起業」や「会社経営」が"特別なこと"なのかが読み取れます。
出典)2017年版中小企業白書 概要
http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/H29/PDF/h29_pdf_mokujityuuGaiyou.pdf
もしかすると、日本人の「大企業志向」「安定志向」な国民性もあるのかな?とは思います。しかし、そうやって「起業」や「会社経営」を"特別視"し、「情熱を持った限られた人の職業」と不必要にハードルを高くすることにより、中小企業を中心に後継者不足の問題にも繋がっているように思います。
上記の通り、一般企業では「定年」となる60歳以上に限定すると、3割~5割近くの企業が後継者不足の課題に直面しているのです。
出典)
2017年 後継者問題に関する企業の実態調査 | 株式会社 帝国データバンク[TDB]
そもそも、日本の中小企業については思うところも多いです。「下町ロケット」ではないですが、実際、日本の中小企業の技術力は高く、海外と比較した場合の優位点(ストロングポイント)になっているのは事実だと思います。
しかし、その強みを十分に活かしているかというと、「技術力はあるけれど、経営は強くない」人々によって、十分には発揮できていない側面が確実にあると思っています。
「起業ブーム」や「起業しやすい社会の到来」も良いですが、新規起業と同じくらい、現存する魅力的な企業を輝かせることが重要、つまり、「会社経営のプロ」が必要なのではないかと感じているのです。
「個人が会社を買う」が当たり前の時代が来る
さて、そんな思いを持っている中、こんな記事を見付けました。
おぉ、なるほど!日本の後継者不足の現状を見るとこういう「個人が会社を買い取って経営する」というケースが増えると素敵だなと思います。
情熱を持った「起業」や「会社経営」は間違いなく素晴らしいです。でも、だからといって、そうでない「起業」や「会社経営」がダメという話ではないと思います。純粋に会社経営を楽しみたいという思いも、同等に歓迎すべきものです。何故、片方を賛美したら、片方を非難しないといけないのか理解ができません。
現代において、多様性を謳うのであれば、起業家/経営者のモチベーションにも多様性を許容する。そうすれば、起業の裾野が広がるだけでなく、もしかすると中小企業の後継者問題の解決の糸口にもなるかもしれない。日本再生のヒントが眠っているように思います。
本日は以上です。
2018/11/6(火) 総アクセス数:2531
あなたは「選手」なのか「監督」なのか
3行まとめ
- 「部下に仕事を任せることが下手な人が増えている」気がする。その根本原因は「部下を持ったのに、部下を持つ前と同じマインドで仕事に臨んでいる」ことだと思われる。
- すなわち、上司の役割は「選手ではなく監督」なのに、「部下のパフォーマンスのみで自分自身の評価する」くらいでちょうどよいのに、自分で成果を出そうとしている上司が多いのだ。
- あなたが求められている役割は「選手」なのか「監督」なのか、今一度振り返ってみるといいのかもしれません。
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今、部下に仕事を任せる難度が上がっている「3つの理由」
皆さんは部下がいますか?
その部下に対して、どんな風に仕事を任せていますか?
現代の世の中では、以下3つの理由で部下に仕事を任せることが難しくなっているようです。
1つめは、管理職として、新規事業などのイノベーション創出を求められており、自分が過去に取り組んだことがない課題解決を部下にまかせなければならない難しさ。
2つめは、新たな職種が生まれたり、職種が細分化する中で、自分にない専門性を持つ部下をマネージする難しさ。特にこれは、技術的革新の早いIT業界で顕著ですね。
そして3つめは、部下とのジェネレーションギャップを克服する難しさです。特に「ミレニアル世代」と呼ばれる人たちとは、そもそも働くことに対する価値観からして異なりますから。
なるほど、確かにそういう側面もあるかもしれないですね。
ただ、私の周りでは上記に加えて、別の視点でも部下に仕事を任せることが難しくなっているようです。
もっと正確に言うと「部下に仕事を任せることが下手な人が増えている」のです。
上司になったら、自分の評価ポイントを変えるべき
なぜ部下に仕事を任せるのが下手なのか?
前述の3つ含め、理由は多々あると思います。
ただ、根本原因は「部下を持ったのに、部下を持つ前と同じマインドで仕事に臨んでいる」ことにあることが多い気がします。
多くの人は「昇進して部下を持つようになる」=「これまでの自分の実績や能力が認められた」と捉えます。
もちろん、それは間違いのないことでしょう。
ただ、「すなわち、これからより一層、その能力を発揮することが期待されている」と捉えてしまうと大きな間違いです。
野球に例えるのであれば、部下を持つまでは「選手」として活躍することが役割であり、自分で打席に立って点を取ることが仕事です。
ところが、上司、特にマネジメント層と呼ばれる人達に近づいていくと「選手」ではなく、「監督」の役割が求められます。すなわち、打席に立つのではなく「選手の能力を最大限に活かすことで試合に勝つ」ことが仕事になるのです。
打席に立つために筋トレをして、結果、相手の分析や選手の活用が疎かになれば、それは間違いなく監督として本末転倒です。野球に例えるととても分かり易いですが、一般の仕事だとその本末転倒な行動を取っている人が多いのです。
対策は簡単です。
部下を持ったその瞬間から自分の評価ポイントを改めればいいのです。
もっと具体的に言うと、自身のスキルやパフォーマンスによる評価は一切行わず、「部下のパフォーマンスのみで自分自身の評価を行う」ようにすればよいのです。
部下に仕事を任せる難度が上がっている「3つの理由」②
さて、では何故なかなか監督のマインドになれないのか?
その理由は3つあると思います。
1.周りからの視線・評価
自分自身で成果を挙げない、という方針はなかなか勇気がいることです。
なぜなら、周りがそのような「上司としての役割」を理解しているとは限らないからです。場合によっては「最近、あいつ自身は何も成果挙げていないんじゃない?」とすら言われてしまう可能性があります。(もしかすると、その可能性の方が高いかもしれません。)
2.プレイングマネージャの存在
突出して優れた人物はどの世界にも存在し、そういう人は「プレイングマネージャ」という「選手兼監督」の役割を担えてしまっています。そのような存在が「自分は選手としても活躍しなければいけない」という強迫観念を作ってしまうのです。
3.ピラミッド構造の崩壊
人口減少と効率化により、現代は最小限の人数で業務を回すことが多いです。そのため、上司に対して部下の人数が以前よりも少なくなっているように思います。
極端な話かもしれませんが、部下が100人いれば「監督」として部下のパフォーマンスを10%向上させれば、10人分のパフォーマンスを出したことになります。ところが、部下が5人だと、1人当たりのパフォーマンスを10%向上させてもそれは0.5人分のパフォーマンスにしかならず、だったら自分が能力を発揮したほうが早い、ということになってしまいます。
つまり、組織のピラミッド構造の崩壊が「監督」業に専念しづらくしているのです。
いずれの理由に対しても現時点で明確な反論はありません。
もしかすると現代では「上司であろうと監督よりも選手としての役割を求めている」ことの方が多いのかもしれません。ただ、監督としての役割がゼロということもないでしょう。
自分が求められている役割は何なのか 、今一度振り返ってみるといいのかもしれません。
本日は以上です。
炎上プロジェクトにおける部下との協働~3つの思考改革~(下)
3行まとめ
- 炎上プロジェクトにおいて、部下に成長の機会を与えつつ、生産性を最大化するにはどうすればよいか。
- ポイントは以下の3つだと思っている。
1.チームのキャパ(工数)の考え方を改める
2.やることではなく、やらないことを決める
3.「プロジェクトの成功」以外のこだわりは捨てる - 上記はプロジェクトマネージャとして当たり前の話。たとえ炎上中のプロジェクトであろうと、自身の役割を見失わずに「当たり前」を忘れないことが重要。
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部下との協働に必要な3つの思考改革
前回の記事では「炎上プロジェクトにおいて、部下に成長の機会を与えつつ、生産性を最大化するにはどうすればよいか」の悩みについて記載しました。
本日はその悩みに対する自分なりの考え/気付きを書いていきます。(どれも当たり前の話ですが、私が出来ていなかったことです。)
<前回の記事はこちら>
1.チームのキャパ(工数)の考え方を改める。
部下がいる以上、作業量は私個人ではなく、部下含めたチームで見積もります。
それは当然なのですが、問題はその見積もり方法です。
これまでは自分の作業量に、部下の作業量を足し込むことでチームの作業量を見積もっていました。
例えば「私:100+部下:70=チーム合計:170」という考え方です。
本来であれば、私の工数の一部は部下レビュー等があるため、上記は適切ではないのですが、今まで時間を気にせず働くことが多かったため、結果として「部下レビューの時間は自身の作業量にカウントしない」習慣が付いていました。
そのため、無意識に「自分の工数にレビュー時間は含まない」といった考え方になっていました。
しかし、上記考え方だと、炎上プロジェクトなど時間に余裕がなくなると、無意識にレビュー時間確保の優先度が下がってしまい、部下に仕事を任せづらくなってしまいます。
そのため、考え方を「部下:70+私(レビュー):30+私(その他):70=チーム合計:170」に改めました。
結局は「チーム合計:170」で変わらないのかもしれません。
ただ、主戦力の認識が大きく変わっており、「私:100」から「部下:70+私(レビュー):30」になっています。結果、部下レビューの優先度が上がり、私の動き方も部下に求める成果も大きく変わってきます。
正直、改めて書くような話ではなく、マネジメントとして当然の話です。
今まで長時間労働で何とかしてきたツケが出てしまったなと反省しています。
2.やることではなく、やらないことを決める。
これも1と同様、これまでの働き方に起因する反省点です。
これまでは長時間労働で大体のことをカバー出来てきたため、「何をすれば目的を達成できるか」という正攻法の積上げでタスクを考えていました。
まぁ、余裕があるときはそれでも問題ないのかもしれません。
しかし、炎上プロジェクトで同じ考え方を貫くと、1つ1つのタスクにかける時間が短くなり、結果として「部下に任せづらくなる」「部下にゆっくり考える時間を与えられなくなる」という事態に陥ります。
そのため、炎上プロジェクトのときこそ、「何が必要か」ではなく、「残り時間を考慮し、何をやらないか」を考える必要があるのです。
3.「プロジェクトの成功」以外のこだわりは捨てる。
ある程度、コンサルタントをやっていると自分なりの仕事の方法が確立されますし、ある種の「美学」のようなものも出てきます。
私もついつい「コンサルタントとして」や「マネージャとして」という思いに縛られてしまっていたように思います。
もちろん、通常時はそういった誇りやあるべき姿を追求することは重要です。
しかし、炎上プロジェクトにおいては「こだわりはプロジェクトが成功することのみ」くらいに割り切ることが重要になんだと思います。
そう考えるだけで、求める品質やレビューにかかる時間が大きく変わってくるため、部下に任せられる仕事が大きく広がっていきます。
まとめ
上記3つの内容は、実は根っこの部分は同じであり「マネージャの役割は何か?」なんだと思っています。
マネージャの役割は「チームが機能するために環境を整えること」と、頭では分かっているのですが、部下が少なかったり、プロジェクトが炎上中だったりすると、その大原則を忘れて、ついつい「自分で何とかする」のモードになってしまいます。
でも本当に大切なことは、炎上プロジェクトであっても基本を忘れず、「勇気を持って自分の役割に徹する」ことなんだと思います。
どの内容もプロジェクトマネージャとして当たり前ですが、多忙・プレッシャーという状況やこれまでの働き方に足元をすくわれてしまい、その当たり前さえも守れなかった自分に対する戒めのため、記載しました。
2018/09/05(水) 総アクセス数:698
炎上プロジェクトにおける部下との協働~3つの思考改革~(上)
3行まとめ
- 「仕事を任され、自分で何とかするしかない環境に置かれたとき」こそ成長すると考え、なるべく部下にはそのような環境を与えるよう心掛けている。
- 但し、上記方法を取れるのは比較的スケジュールに余裕がある場合で、炎上プロジェクトのように日々状況が変わり、スケジュールに余裕がない場合には向いていない。
- 一方で、部下やお客様のことを考えると、部下に成長の機会を与えつつ、生産性を最大化することは必須。どうすれば、そのバランスを取れるのか考えてみた。
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炎上プロジェクトにおける部下との協働
…というタイトルで、本日はブログを書きます。
最初は「炎上プロジェクトにおける部下マネジメント」とか、「炎上プロジェクトにおける部下育成」とか、もうちょっとかっこいいタイトルで書きたかったのですが、しっくりこないなぁと。
というのも、今回は単純な「育成」や「マネジメント」の話ではなく、
- プロジェクトマネージャとして、プロジェクトを成功させないといけない
- プロジェクトマネージャとして、後続を育成しないといけない
の狭間で悩んでいる話だからです。
基本としている部下との働き方と、炎上プロジェクト
私は現在コンサルタントをやっており、部下と共にお客様の職場に常駐しています。
今でこそマネージャのポジションで仕事をしていますが、私は成長に時間が掛かり、歴代の上司達には多大なる迷惑を掛けてきました。
そんな成長の遅い自分でも、いくつか大きな成長を遂げた時期があったのですが、振り返るとそれは大体が「上司から放置された瞬間」でした。
「放置」と書くと響きが悪いですが、要するに「仕事を任され、自分で何とかするしかない環境に置かれたとき」ということです。
まぁ良くも悪くも人間は追い詰められて、必要に迫られるほうが成長する生き物なのでしょう。(私だけかもしれませんが…。)
そんな自身の経験があるため、「上司から100のレビューを受けるよりも、1回の失敗の方が成長に繋がる」を信念に、部下育成は基本的には「まずは任せて、失敗を経験させる」ことを基本にしています。
しかし、そのような方法が上手くいくのは、「失敗を経験させる余裕」がある場合だけです。いわゆる、炎上プロジェクトだと部下に失敗を経験させる余裕もなく、いかにプロジェクトを正常な状態に戻すかに全てのパワーを注ぐことになります。
つまり、「プロジェクトの成功」と「部下の育成」の両立が難しく、どうしても「部下の育成」が後回しになってしまいます。
部下と協働するための3つの思考改革
そもそも、炎上プロジェクトとは?
ここで私が言っている炎上プロジェクトとは
- 状況が日々変わり
- マネジメント層への報告を数日単位で行う必要があり
- スケジュールが常に綱渡り状態
のプロジェクトを指しています。
記載の通り、日次単位で状況が変わるため、部下にゆっくり考える時間を与えることも、失敗を経験させる余裕もありません。
そのため、どうしても部下に「任す」ことが難しく、上手く作業を分担出来ませんでした。
しかし、それは「部下育成」の観点からも、「プロジェクトの生産性」の観点からも望ましくないことは明白です。
私自身のため、部下のため、そして、お客様のため、時間に余裕のない炎上プロジェクトにおいて、部下を育成しつつ、生産性を最大化する方法はないか考えてみました。
>(下)に続く
2018/09/04(火) 総アクセス数:684
有意義な時間を過ごすために必要なもの、それは「集中力」と「想像力」、そして「楽しむ力」
3行まとめ
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有意義な時間を過ごすために必要なことは3つ、「集中力」と「想像力」、そして「楽しむ力」だと思っている。
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集中力とは「同じ時間の中でどれだけ濃い時間を過ごせるか」の能力である。「知識を吸収する」でも「経験を積む」でも「楽しむ」でもよいので、誰よりも濃い時間を過ごしてやると自分に課すことが重要である。
また、想像力とは「未来をいかにシミュレーションできるか」の能力である。「試験を解いている自分を想像できるか」「上司や顧客にプレゼンしている自分を想像できるか」など、アウトプットのシチュエーションをいかに具体的に想像できるかが、インプットの時間の質を高める。 -
そして最も重要なのは「楽しむ力」である。「集中力」も「想像力」も重要ではあるが、つまらなければ継続できないし、ただ自分が辛くなるだけである。そんな時間は決して「有意義」ではない。「誰よりも濃い時間を過ごすこと」「未来を想像しながら過ごすこと」をいかに楽しいことにするかが、有意義な時間を過ごすための最大のポイントだと思っている。
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一旦、心をリセット。
本日は社労士の試験日でした。
今年は社労士の試験合格を一つの目標としており、本来は重要な日だったのですが、結果から言うと、今年の受験は見送りました。
仕事が忙しく本日も出勤だったため、受験を見送ったのは仕方がないと言えば仕方がないのですが、まぁ…言い訳ですよね。
合格の見込みが凄く薄かったから仕事を優先させた訳で、もし合格出来る実力があれば全力で仕事の日程を調整していたと思います。
そのため、今回の試験は完全敗北かなと思っています。
心機一転、明日から頑張ります!
…ということで、本日は振り返りと明日からの過ごし方に対する決意表明です。
問題は勉強できなかったことではない。時間の使い方だ。
まずは振り返りからですが、実際、最近の仕事は大変忙しく、社労士に合格できるだけの勉強時間の確保は困難でした。
ただ、それでも「受験してみないと分からない!」という程度のレベルには持って行けたと思います。
では、なぜ今回はここまで完全敗北となってしまったのか。
一言で言うと、それは「時間を有意義に使えていなかった」からです。
①集中力
ここ最近は仕事の疲れ(身体的・精神的)もあり、集中力が激しく低下していました。
言うまでもなく、集中力が落ちていると有意義な時間にはなりません。
さて、では「集中力を上げよう!」と思えば、上がるものなのでしょうか?
もっと言うと、「集中力」とは何なのでしょうか?
私は「集中力」とは「没頭する力」だと思っています。
もう少し具体的な言葉に直すと、「同じ時間の中で、その他のことを排除してどれだけ濃い時間を過ごせるか」の能力です。
つまり、「集中力を高める」とは「余計なことを考えず、誰よりも濃い時間を少しでも長く確保する」ということです。
当たり前かもしれませんが、「知識を吸収する」でも「経験を積む」でも「楽しむ」でもよいので、「誰よりも濃い時間を過ごしてやる」と自分に課すだけで、集中力は大きく変わってきます。
②想像力
先ほどの「集中力」は「濃い時間をどれだけ確保できるか」という「量」寄りの話でしたが、こちらはその濃い時間を「いかに効率的に活かすか」という「質」の話です。
今回の敗北の原因の一つは、年の中小企業診断士合格の慢心から、勉強の開始が遅全体像の把握が遅くなってしまったことです。
全体像さえ把握できていれば、「想像力」でもう少し何とかなっていたと思っています。残りの勉強スケジュールを頭の中でシミュレーションしたり、頭の中で試験問題を解いて苦手な分野を炙り出したり、対応の取りようがありました。
私は「想像力」とは「未来をいかに具体的にシミュレーションできるか」の能力だと思っています。
もう少し具体的に言うと、「試験を解いている自分を想像できるか」や「上司や顧客にプレゼンしている自分を想像できるか」など、アウトプットのシチュエーションをいかに具体的に想像できるか、です。
上でも書いていますが、アウトプットのシチュエーションを具体的に想像できるようになると、残りのスケジュールをどのように過ごせば間に合うのか想像したり、頭の中で試験問題を解いてどこが自分の苦手な箇所なのかを想像したり、今学んでいることが試験ではどのように出題されるのかを想像したりできるようになるため、インプットや時間の使い方の質がかなり高まります。
また、想像力があれば「勉強せずに1日を過ごした自分」を想像できるため、「集中力を高めるきっかけ」にもなったりします(笑)
最も重要なことは… 楽しむこと!
ここまでのことを纏めると「有意義な時間を過ごすには、未来を見据えつつ、今を全力で生きろ!」という、かなり普通のことを書いています(笑)
そんなことが常に出来るのであれば苦労はしない訳で、いかにこの難しいことを継続するかが最大の肝になります。
私は、もともとそんなに真面目な性格でも、自制心のある性格でもないため、「ただ頑張る」は出来ません。
そんな私が継続して頑張るには「頑張ることを辛いことではなく楽しいことにする」しかありません。
③楽しむ力
私が行っている取り組みなので、どこまで皆さんに当てはまるか分かりませんが、私はこんなことをやっています。
【①集中力】
ポイントは時間を決めて、効果を図り、ゲームのようにすることです。
例えば、同じ通勤時間でどれだけ覚えられるか「昨日の自分」と勝負するであったり、同じ1時間の中でいかに没頭して進められるかをスコア化して記録するなどです。
【②想像力】
例えば中小企業診断士は7科目、社労士も7-8科目ありますが、私は1科目ずつ脳内で漫画のキャラクターを担当にしていました。
例えるなら、得意な科目はルフィ、苦手な科目はウソップ、みたいな感じです。
暇さえあれば、脳内でキャラクター達に話し合いをしてもらい、時にはゾロとサンジがお互いの弱点を指摘し合ったり、ウソップが大見栄を切ったり、ナミさんが皆に分かり易く説明したりして、苦手なポイントを炙り出したり、勉強のやる気を奮起させたり、自分の理解を確認したりしていました。
アホかと思った人も多いと思いますが、想像にとっての一番の障害は「自分の主観/思い込み」なので、自分ではない誰かになりきるという手法は、結構に有効だと思われます。(科学的な根拠はないです。)
いずれにしても、自分に合った楽しみ方を見つけて、辛いことをいかに楽しいことに変えてあげるかが、有意義な時間を過ごす上での最も重要なポイントなんです。
ということで。
まとめになりますが、改めて明日からは「集中力」「想像力」「楽しむ力」を意識して、有意義な日常を過ごしたいと思います。
2018/08/27(月) 総アクセス数:561
3つのことを知らなかった。結果、起業は失敗した。
3行まとめ
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過去に起業の経験があるが、お世辞にも成功とは呼べないお粗末な結果になってしまった。
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今振り返ると、その主要な原因は3つあったように思える。①お金の稼ぎ方を知らなかったこと、②お金の使い方を知らなかったこと、③世の中を知らなかったことである。
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どれも当たり前のことで、この3つを知らずに起業することは「無謀」である。私もそう思っていた。…失敗するまでは。
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起業…そして、1年で撤退。
私は過去にちょっとした起業をしたことがある。
社会人4-5年目、少し仕事にも慣れてきて、それなりに成果が出始めた時期である。
起業の内容については別途どこかで書くことにしたいが、その結果は散々であった。
残念ながら最初の1年間では200~300万円程度しか稼げず、結局1年で起業を断念した。
「最初の1年で200~300万円」をどう捉えるかは分からない。
もしかすると、そこまで悪くない結果と思う人もいるかもしれない。
ただ、その金額の殆どは「やりたかったこと」ではなく、「稼ぐためにした副業」であり、起業そのものでの収入は実質ゼロに近かった。
本当に語るも恥ずかしい散々な結果であり、誇れることは「1年で撤退した勇気」と「自分がいかに良い人達に囲まれているかを再認識できたこと」だけであった。
3つのことを知らなかった。
振り返っても反省するべきことは多く、枚挙にいとまがないが、上手くいかなかった原因は大きく3つある。
(1) お金の稼ぎ方を知らなかった
社会人を4-5年やっていたが、営業職ではなく、実際に契約や商談の場を経験したことが無かった。
そのため、人は何に対してお金を払うのか、何を判断基準にお金を払うのかを理解できていなかった。
いや、営業職でなくても上記を理解している人はいるので、言い訳かもしれない。
ただただ、単純に「お金や物の価値」に対する感度が低かったのだ。
よくビジネス書で描かれる日本人のように「良いものは売れる」を信じて、肝心な「どうやってお金を払ってもらうか」「お金を払うことに対して、顧客が自分自身をどうやって納得させるか」に時間を割いてこなかったのだ。
(2)お金の使い方を知らなかった
大金を持った経験もなく、お金の使い方を知っていたわけでもない。
その結果、「何にお金をかけて、何にお金をかけないか」の判断が適切に出来ていなかった。
正確に言うと、資金の配分は考えていた。
でもそれは、「自分が持っている手持ち資金」の配分であり、「掛けるべき資金」から逆算できていなかった。
つまり、資金を外から集めるという発想・勇気が全くなかったのだ。
私が参入した分野は、まだ他に誰も手を付けていない領域であり、先行者利益が大きい領域であった。しかし、やろうと思えば比較的誰でも参入出来てしまう分野なのでスピードが命であった。
そのため、いかに初期で資金を注入できるかが重要であったが、そこまで分かっていたにも関わらず、資金を注入できなかった。
(3)世の中を知らなかった
実は、上手くいかないことは始める前から分かっていた。
何故なら事業計画を立てた段階で採算が取れていなかったからだ。
しかし、不都合なことからは目をそらしていた。
「会社を辞めて、その事業にだけ注力出来れば何とかなるはず。世の中、1人でやっている人もいくらでもいるんだし、自分一人の食い扶持くらい何とかなるはず。」
本気でそう思っていた自分をグーパンチで殴りたい。
別に自分の能力を過信していたわけではない。
ただ、「会社」という恵まれた環境にいて世の中のことを分かっていなかったのだ。
「会社」と「社会」は似て非なるものであった。
自分が無知であることを知った。
以上の3つはあまりにも当たり前の話である。
これを知らずに起業をするということは本当に「無謀」だと思う。
自分もそう思っていた。…失敗するまでは。
そう思っていながら、実は分かっていなかった。
自分が無知で、世間知らずということを思い知らされた。
しかし、20代でそのことを知れたことは幸運なことだと思っている。
この経験をもとに次の起業は成功させたいと思う。
2018/08/16(木) 総アクセス数:430
師を誤るほど不幸なことはない
3行まとめ
- 『師を誤るほど不幸なことはない』とは、オウム真理教事件を担当した裁判長の御言葉。仰る通りである。
- 我々日本人は世界的にみると宗教への関わりが薄く、かつ、核家族化が進んでおり日常生活の中で関わる「大人」の数が限定的になりつつある。だからこそ、昔以上に「誰をお手本にするか」の重要性が高まっているように感じる。
- 「朱に交われば赤くなる」ではないが、意図的にせよ無意識にせよ、人は周りの環境に依存される。そのため、我々はもっと積極的に「師を定める」べきなのかもしれない。
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『師を誤るほど不幸なことはない。』
上記言葉はオウム事件の林泰男被告の裁判で、木村烈裁判長の判決文の一部です。
林泰男という人は、「師を誤った」ばかりに、もっと世の中の役に立つことに使われていたかもしれない能力で、多くの人々を苦しめてしまったともいえるのです。
上記言葉の通り、仰ぐ師が違っていればもっと異なる未来があったのでしょう。
しかしそれは、林被告に限らず、我々にも言えることだと思います。
海外だと日曜日は協会に行って聖書を読むなど、「宗教」という形で「自分はどうあるべきか」を知り、考える機会があります。
ところが、日本では海外ほど宗教の関わりは強くなく、「自分はどうあるべきか」を学ぶ機会は専ら家庭や学校・職場が中心となります。
しかし、核家族化が進み、地域との関わりも薄くなっている現代では、祖父母や親族、地域住民との繋がりも限られており、自らのお手本となるべき人物は父母や先生、上司などが中心になっています。
つまり、「お手本となる大人」の候補が減っており、だからこそ「誰を自分のお手本とするか?師とするか?」が昔以上に重要になっているのです。
「自分が目指す姿」をモデルケースとして持っているか?
この記事を読んで、個人的に振り返ってみたのですが、実は私自身も『師』としている人物はいません。
(子供がいるわけではないですが)「自分の子供に胸を張って語れることだけをする」という行動指針は持っていますが、その程度であり『師』に該当する人はいません。
無理に『師』を設定する必要はありませんが、「朱に交われば赤くなる」の言葉の通り、人間は無意識のうちに周りの環境に影響を受けてしまう生き物なので、「なりたい自分」を描かないでいるよりも、「具体的にこんな人になりたい」という理想像を持っている方が、より良い自分になれると思われます。
―――
ところで、社会人になると自分で選んだわけでもないのに『師』に近い存在が出てきます。「上司」です。
私自身はかなり上司に恵まれており、尊敬できる人々ばかりだったのですが、全員がそんな良い上司と巡り合える訳ではありません。
先日、大学の後輩から部署異動したとの話を聞きました。
聞くと、上司の方針が自分と合わず、「この人には付いていけない」と判断し、自ら望んで部署異動したとのこと。
もちろん、どちらに問題があったかなんて分かりません。
彼自身、そんな行動を起こすことで社内の評判がどうなるか、かなり悩んだそうです。
それでも、仰げない『師』の元で時間を費やす事の方が彼にとっては辛かったのでしょう。今の上司を切り離して、意志を持って自分の環境を変えた彼の決断は純粋に凄いなと思います。
『師を誤るほど不幸なことはない』
言い換えると『我々はもっと自分の師を選ぶことにこだわった方がよい』ということなのかもしれません。
2018/08/10(金) 総アクセス数:365
敢えて言おう「結果が良ければ何でもいい」
3行まとめ
- 『「結果を出すより、頑張っているように見せる方が重要」という価値観の元では、人はダメになってしまう。』とのこと。全面的に賛成である。
- ただ、実際に結果重視で頑張る組織を作ることは難しい。「結果さえ良ければ何でもいいのか」という反論しづらい主張をする抵抗勢力が一定数存在するからである。
- だが、敢えて言おう。「結果が良ければ何でもいい」と。それで問題があるとすると、それは「方針」が間違っているのではなく、「結果」の定義に誤りがあるだけだ。
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『「結果を出すより、頑張っているように見せる方が重要」という価値観の元では、人はダメになってしまう。』
先日こういう記事を読みました。
分かり易い部分を抜粋すると
例えば、計画だけは立派なEさん。
あるいは、上司の目に入るように仕事をするだけで、全く結果を出せないMさん。
皆が集まる会議でもっともらしく意見を言うのだが、全く実行しないOさん。
彼らはいずれも、「結果を出すより、頑張っているように見せる方が重要」という世界の住人だ。
もちろん「結果が出ないこと」を単に責めるのは間違っている。
結果は運の要素も強いし、頑張っているけれども結果が出ないこともよくある。
しかし、それを悪用して「結果を出す」よりも「頑張りを見せる」方が重要、という価値観の元に永くいると、人は腐ってダメになってしまう。
全面的に賛成です。
結果を出すために頑張っている以上、その評価は結果で行うのが当然だからです。
敢えて言おう「結果が良ければ何でもいい」
後輩B:でも、結果だけで評価するというのも難しいですよね。結果が出ない人を切り捨てる訳にもいかないですし。
先輩A:いい指摘だね。不思議なことにこの話をすると、印象が良くなく、必ず一定数のメンバーから同様の反論を受けるよ。
後輩B:心情的には反論しづらいですよね。
先輩A:確かに。ただ、議論の順番を間違ってはいけないよ。「頑張っているけど結果が出ていない人」を評価するために「結果を出している人」を適切に評価しないのか?というと、それは本末転倒。あくまでも「結果を出している人」の評価が本筋であり、その上で「頑張っているけど結果が出ていない人」をどう評価するか、という順番。心情的な主張に惑わされると、本質を見失うから注意だね。
後輩B:なるほど。確かにそうですね。ところで一方で、結果が出れば何をしてもいいのか?という声も良く聞きますよね。
先輩A:うーむ。それって具体的にはどういうことを危惧しているのだろう?
後輩B:例えば、売上を伸ばすために、お客様に強引に売ったり、半ば詐欺みたいな文句で騙したり、あるいは、部下や同僚の成果を横取りしたりとかですかね?
先輩A:うん、思い浮かぶのはそんなところかな。でも今挙げてくれたことも「結果」なんじゃないかな。
後輩B:え?
先輩A:別に「結果」=「売上」や「利益」だけでなく、「CS(顧客満足)」や「チーム内の売上/利益」も「結果」だよ。つまり、「結果」を適切に定義していれば「結果が出れば何をしてもいいのか?」という話にはならない。
後輩B:なるほど。だから「結果が良ければ何でもいい」と言えるのですね。
先輩A:そうだな。
後輩B:でも先輩は出来る人だからそう思うんですよ。出来ない人からすると、厳しいルールだと思いますよ?
先輩A:そうかもしれないけど、「頑張っている姿勢」で評価すると、逆に皆が不幸になるぞ。
後輩B:え??
先輩A:「頑張っている姿勢」が評価基準になると、社員は頑張り続けないといけなくなる。仮に、いい結果を残したとしても頑張らないといけなくなる。そうすると、もはや頑張る意味がなくなるよ、だって、結果が出ようが出まいが「頑張っている姿勢」を保たないといけなくなるのだから。
後輩B:あ…。
先輩A:そんな状況下で頑張れる?
後輩B:頑張れない…ですね。
先輩A:そう。そうすると、ただ自分を疲弊させて「頑張っている姿勢」を出すブラック化が進み、かつ、結果を出すことに意欲を持てないという最悪な状況になってしまう。
後輩B:…確かに。 「頑張っている姿勢」での評価は危険ですね…。
先輩A:だから、変に反論されて本質を見失うくらいなら、敢えて言わないといけないんだよ。「結果が良ければ何でもいい」とね。
2018/08/6(月) 総アクセス数:347